こんにちは。国語専門塾 国語ゼミの編集部です!
夏に単語帳を一冊終え、助動詞も一通り押さえた。それなのに、問題文を読むと途中で何の話かわからなくなる——九月に入って、このご相談が増えます。
このとき多くの受験生が考えるのは、「単語が足りないのではないか」ということです。そして二冊目の単語帳を買います。しかし、たいていの場合、それは遠回りになります。読めなくなっている原因は、語彙量ではないからです。
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こんにちは。国語専門塾 国語ゼミの編集部です!
夏に単語帳を一冊終え、助動詞も一通り押さえた。それなのに、問題文を読むと途中で何の話かわからなくなる——九月に入って、このご相談が増えます。
このとき多くの受験生が考えるのは、「単語が足りないのではないか」ということです。そして二冊目の単語帳を買います。しかし、たいていの場合、それは遠回りになります。読めなくなっている原因は、語彙量ではないからです。
先に、はっきりさせておきたいことがあります。
単語と文法をやり込んだことは、正しい判断です。この二つがないと、古文は一文も正確に読めません。夏に時間を使ったのなら、その投資はこれから効いてきます。
ただし、単語と文法は「一文を訳す」ための道具です。それだけでは、「文章を読む」ところまで届きません。ここに段差があります。九月に手応えがなくなるのは、ちょうどこの段差にさしかかっているからで、努力の方向が間違っていたわけではありません。
では、段差の正体は何か。そこから話を進めます。
「古文が読めない」という状態は、実は三つに分かれます。次のどれに当てはまるか、直近で解いた一題を手元に置いて確認してください。
夏に単語と文法を終えた人の多くは、Cです。そして、AとBの対策をいくら重ねても、Cは解消しません。処方箋が違うからです。
切り分け方は簡単で、解いた問題の全訳を見ながら本文を読み返してみてください。全訳を見れば筋が通る、しかし自力で読んだときは通らなかった——これがCの典型です。語の意味は取れていたのに、話が組み上がらなかったということですから。
Cの状態にいる人の本文を見せていただくと、ほぼ共通した特徴があります。誰が何をしたのかが、書き込まれていないのです。
古文が難しいのは、古語が難しいからというより、動作の主が頻繁に省略されるからです。現代語の文章なら、主語が書かれていないときも、直前の文から自然に補えます。古文はそうはいきません。省略のされ方が現代語と違い、しかも登場人物が三人、四人と増えていきます。
一文ごとに訳せていても、その動作を誰がしたのかを取り違えると、次の文からすべてがずれます。しかも厄介なことに、ずれたことに本人が気づきません。一文ずつは訳せてしまうので、読み進めることはできる。読み進めた結果、設問に来たところで「誰の話だったのか」がわからなくなる。これが、九月に起きている現象です。
では、なぜ古文はこれほど主語を省くのか。理由は大きく二つあります。
一つは、敬語が主語の代わりをしていたからです。当時の読み手にとって、敬語がついているかどうか、どの種類の敬語かは、そのまま「誰の動作か」を示す情報でした。主語を書かなくても伝わったのです。
もう一つは、身分関係が共有されていたからです。誰が誰より上位かがわかっていれば、敬語の使い分けから動作主は自動的に決まります。私たちがこれを難しく感じるのは、その前提を共有していないからです。
裏を返せば、この二つを復元すれば、主語は推測ではなく手がかりから割り出せます。文脈や勘に頼る必要はありません。以下、その手がかりを二つ紹介します。
古文の敬語は、大きく三種類です。ここで押さえたいのは意味ではなく、方向です。
つまり、尊敬語がついていれば「この動作をしたのは、敬意を払われる側の人物だ」とわかります。謙譲語がついていれば「この動作を向けられた相手が、敬意を払われる側だ」とわかります。
説明のために、一文を作ってみます。
中納言、姫君のもとに参りたまひて、文を奉りたまふ。姫君、うち笑みて見たまふ。
一つずつ見ます。
主語は一つも書かれていませんが、全部特定できました。文脈の雰囲気で当てたのではありません。敬語の方向から、機械的に割り出しています。
なお、同じ語でも文脈によって用法が変わる場合があります(「奉る」が「召し上がる」の意で尊敬に働くなど)。ですから、単語として覚えるだけでなく、その文でどちらに働いているかを毎回確認してください。ここを面倒がると、せっかくの手がかりが使えません。
もう一つ、よく使われる手がかりがあります。文と文をつなぐ助詞です。
説明用の例です。
男、笛を吹きて、立ち去りぬ。(吹いたのも立ち去ったのも、男)
男、笛を吹くに、女、耳をとどめて聞く。(吹いたのは男、聞いたのは女)
ただし、ここは注意が必要です。これは規則ではなく、傾向です。例外はいくらでもあります。「て」でつながっていても主語が変わることはありますし、その逆もあります。
使い方としては、こうです。まず敬語で判断する。敬語がついていない箇所で、接続助詞を補助の手がかりにする。そして最後に、その読みで話の筋が通るかを確認する。この順番で使えば、精度はかなり上がります。
手がかりがわかったら、次は作業に落とします。やることは一つだけです。
一文ごとに、本文の余白へ「誰が」を書き込む。
鉛筆で構いません。「中」「姫」のように略記で十分です。会話文なら「誰が誰に言っているか」も書き添えます。
地味な作業ですが、これをやると何が起きるか。自分がどこで人物を見失ったのかが、目に見えるようになります。今までは「なんとなく途中からわからなくなった」だったものが、「三行目の『たまふ』を尊敬と取り違えて、そこから人物が入れ替わっていた」という形で特定できます。
特定できれば、直せます。逆に、特定できないものは直しようがありません。九月以降の古文で伸びる人と止まる人の差は、才能ではなく、この「特定できているかどうか」にあることがほとんどです。
書き込みを始めると、必ず「どちらかわからない」箇所が出てきます。そこで止まってしまう人がいますが、止まる必要はありません。
候補を二つまで絞って、「中?/姫?」と書いて先へ進んでください。
古文は、読み進めるうちに判明することが多い文章です。二、三行先に敬語の手がかりが出てきて、さかのぼって確定できる。あるいは、片方の候補で読むと話が破綻することがわかる。保留のまま進めるというのは、入試本番でも必要な技術です。
逆にやってはいけないのは、わからないまま空欄で進むことです。空欄で進むと、後から手がかりが出てきても、どこに戻ればいいのかわかりません。「?」をつけてでも、候補は残しておいてください。
ここからは分量の話です。結論から言うと、新しい問題を解く数を増やすより、一題を二度読むほうが効きます。
週あたりの目安としては、こう組みます。
四番目が肝心です。ずれた原因をメモし続けると、自分の癖が見えてきます。三回、四回とたまったころに、同じ種類のミスが繰り返されていることに気づきます。その一種類を潰すだけで、失点はかなり減ります。
なお、古文・漢文をいつ仕上げるかという全体の時間配分については、別の記事で扱っています(→ 早稲田と慶應を併願するときの注意点。「国語」と「小論文」の二正面作戦をどう設計するか)。
同じ「古文」でも、大学によって求められる作業は違います。選択肢中心なのか、現代語訳や記述があるのか、和歌の解釈が問われるのか、配点はどの程度か——これらは学部や入試方式によって異なり、年度ごとに変更されることもあります。
九月の時点で、志望校の過去問を一年分だけでも通して見ておくことをおすすめします。出題形式がわかると、演習の力の入れどころが変わります。最新の科目・配点は、必ず各大学が公表する募集要項でご確認ください。
もう一つ、復習に組み込んでほしいものがあります。音読です。
黙読だけで終わらせると、読む速度が上がりません。古文は、現代語とリズムも語順も違う言語です。意味の切れ目がどこにあるのか、係り結びがどう働いているのかを、耳と口で覚えてしまうほうが早い。
やり方は、答え合わせが終わって内容を理解した文章を、三回ほど声に出して読むだけです。このとき、意味のまとまりで区切ることを意識してください。棒読みで速く読んでも効果は薄いです。
二週間も続けると、初見の文章を読む速度が変わってきます。読む速度が上がると、主語を書き込む余裕も生まれます。地味ですが、九月から始めて本番に間に合う数少ない訓練の一つです。
ここまでの作業は、一人でも進められます。全訳がついた問題集があれば、主語の書き込みも、ずれた箇所の特定も自力でできます。
ただし、一つだけ、自力では拾いにくいものがあります。自分がどの段階で見失ったかです。
全訳と突き合わせれば、「三行目でずれていた」ことはわかります。しかし、なぜそこでずれたのか——敬語の方向を誤ったのか、接続助詞を見落としたのか、そもそも人物が何人いるかを把握していなかったのか——は、自分の読みの過程を再現しないと見えません。そして、読み終えたあとの自分には、読んでいる最中の自分が何を考えていたかが残っていないのです。
ですから、可能なら、読みながら声に出して主語を言うことをおすすめします。一人でやる場合は、「ここは中納言」「ここは姫君」と口に出しながら読む。そうすると、迷った瞬間が自分でも記録に残ります。誰かに聞いてもらえる環境があるなら、その場でずれを指摘してもらうのが最短です。
九月です。まだ時間はあります。単語帳を二冊目に進める前に、一度、手元の一題に主語を書き込んでみてください。何が起きているのかが、そこではっきりします。